以下の記事で、何のために子どもに勉強をさせるのかについて書きました。
この記事では、そこから少し発展して「子供の可能性を狭める存在」について書いてみたいと思います。
まず、上の記事を先にお読みいただくと話がつながると思います。
親の時代とはまったく価値観の違う時代
大前提として、親の世代が生きてきた「これまでの20年」と、子どもたちが生きる「この先の20年」とでは同じ20年間でも時代がまるで違います。
インターネットの発達により、個人がアクセスできる情報は膨大な量に上り、地球のサイズはどんどん小さくなっている。
世界、とくにテクノロジーの世界では今日の常識が3ヶ月後には非常識になるようなスピード感です。
こういう時代だからこそ、親が自分の時代を回顧するだけでなく子どものこれから先を一緒に考えてやらなければいけないのでは、と思います。
古い時代の価値観を疑ってみることは大切です。
自分から進んで勉強するから良い子だとか、将来が有望だとか。
・・・それ本当ですか?
そんな価値観も一度疑ってみる必要があるのではないでしょうか?
勉強より大切な生きていく力
この20年の間にIT技術は飛躍的に進歩しました。
ブログをはじめYouTubeやInstagramといったSNSの発達により、誰もが世界に対して情報を発信できる立場になりました。
一昔前なら、自分の意見を発信したりそれにより影響力を持つのはテレビや雑誌などのメディアで発言できるレベルの有名人・芸能人でなければ不可能なことでした。
でも、今は時代が違うんです。
今は「突出した個の時代」だといわれています。
もう右へならえの金太郎飴みたいな量産型の歯車は要らないし、そういう人材は市場価値が低いのです。なぜなら、そんな仕事はAIでもいいから。
自分を表現できる者、トレンドを創造できる者、独自の価値を提供できる者が注目や支持を集める。
彼らの考え方や生き方のスタイルがシェアを生み、支持者がファン化した結果、大きなビジネスにつながる。
これがネット上でスタンダードになっている情報発信のモデルです。
極端な話ですが…
もしかすると近い将来、人間は読み書き以上のことはできなくても生きていける時代になるかもしれません。
現状でも計算はExcelがするし、暗記はハードディスクがします。自分の知らないことはGoogleで検索すれば一瞬で出てきます。
つまり、今でもこれらはアプリケーションソフトのする仕事なのです。
極論、人間はそういったものを使うことさえできればいい。
人は自分でなければできない仕事に時間をかけるべきです。
クリエイティブなことをする人間にしか高い価値がなくなる時代は、もう本当にすぐそこまで来ているのです。
「勉強嫌いの子どもにイラつくのは何故か?」という問いに対する答えは、親自身が思考停止状態にあり、「勉強することが唯一の正解だ」と盲信しているからだと思っています。
勉強は余裕があるなら、できるに越したことはない。
だけど、それが脳の発達段階にある“今”の最優先課題ではないと思うのです。
「塾なんて行ってるヒマがあったら、自分のブログや動画でも作っておけよ」
私はそう思いますし、自分の子どもに対しては実際にそういっています。
世の中には、中卒や高卒の億万長者がゴロゴロしています。
会社組織で長く生きていると、「そんな胡散臭い人間は嫌だ」とか「そんな現実は信じたくない」と思うはずです。
逆に、国の最高学府である東大を卒業してタレントになる人もいれば、定職につかないニートの人もゴマンといます。
タレントという職業やニートが良い悪いの話ではなく、ただそういう現実があるのです。
別に多くのお金を稼ぐことが幸せのすべてとはいいません。ですが、子どもを高い塾に行かせているのもそのための先行投資ではないでしょうか?
天才も一般人も関係ないんです
「キッチン」「つぐみ」などの代表作で知られる、超売れっ子作家の吉本ばななさんは5歳のときに「作家になる」と決めたそうです。
そして小学3年生で勉強を捨てたといいます。
それ以降、自分の世界に没頭する日々を過ごすわけですが、その結果、村上春樹さんと並ぶ世界で最も有名な日本人作家になりました。
「それは特別な人の話で、一般人とは違うから」
すぐにそんなふうにいう人がいます。
でも、そういう人もこういいます。
- うちの子に限って万引きなどするはずがない
- うちの子だけは登校中に事故に遭うはずがない
- うちの子だけはいじめで自殺するはずがない
皆、悪い話に対してはそういう特別視はできるのに、良いことには何故「うちの子にできないはずがない!」という特別視はできないのでしょうか?
「どうせ無理」という言葉は、カンタンに人の可能性を奪います。
これは世界のすべての子どもに聞かせたいスピーチです。
「小学生や中学生時代にこの話が聞けていれば」
「学校や塾の先生の話など聞かなければよかった」
この動画を観たときに私は心底そう思いました。
子供の可能性を親が制限してはいけない
無限の可能性を秘めた子供に対して「堅実なサラリーマンになれ」とか「公務員になれ」とか「安定した仕事につくんだ」といって、小さくまとまる道ばかりを示していませんか?
これだと、親から与えられる情報や選択肢が少な過ぎますよね。
そうすると、望み通りのスケールの小さい人間になります。それは思考の幅、想像力、選択能力、問題解決能力、知的好奇心のすべてにおいてです。
だって、いい大学に入りいい会社に入るための「点数をとる技術」しか訓練してきていないのですから。
嘘でもいいから思い込ませることが大切
「親の口癖や考え方が子供に与える影響は計り知れない」
これが、この記事で私がもっとも伝えたいことになります。
そして、これが親が子にしてあげられる数少ないことの一つだと考えています。
オリンピック選手だった親から「お前は将来、必ずオリンピックに出られる選手になるぞ!」といわれて育った子どもは実際に高確率でオリンピック選手になります。
これは何もDNAの問題だけではありません。
実際に、
親が元オリンピック選手でも「お前は全然ダメだな」といわれて育った子どもは代表選手になれていないそうです。
さいごに
親が信じられない可能性を、子供が信じられる訳がないのです。
あなたもぜひ、無限に広がる子供たちの可能性を深く考えずに、そこそこの未来に制限してしまってはいないかを点検してみてください。
以下の記事ではこれと逆に、歳を重ねた人の可能性について書いています。よかったら読んでみてください。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願っています。