僕の考える“良い人生”の定義に「後悔の少ない人生」というものがあります。
以前、「死ぬときの5つの後悔」という題がついた聖路加国際病院精神腫瘍科医長、保坂隆先生の文章を読みました。
精神腫瘍科とは、がんの告知が一般的になった1970年代頃から発展してきた新しい部門です。そこでは各時期のがん患者と家族に心のケアを提供することを目的としています。
死ぬときの5つの後悔
保坂先生によると、5つの後悔とは次のようなものです。
- 健康を大切にしてこなかった
- やりたいことを先送りにしていた
- 正直に言えなかったことがある
- 会いたい人に会っておかなかった
- 愛する人にありがとうと言えなかった
このうちでもとくに、次の後悔をする人は多いのではないでしょうか。
- やりたいことを先送りにしていた
- 愛する人にありがとうと言えなかった
「やりたいことを先送りにしていた」という後悔
「目の前の仕事が全部片付いたらやりたいことをやろう」と思っていると、いつまでもそのタイミングは訪れません。
新しい仕事は次々に目の前に現れて、全部が目の前から一度に片付くことはないからです。
そして「いつかやろう」と思っているうちに人生が終わってしまう。だから、死ぬときに後悔するのでしょう。
いつだったか、「いつかやりたいと思ってたこと、今やろう!!」というコピーのCMがありました。実際に「今すぐやる」とまではいかなくても、計画を立てることには取りかかれるのではないでしょうか。
手をつけさえすれば、計画は進んでいくものです。着手から完遂までを一気にやろうすると、時間もかかる上にハードルが高くなります。
「愛する人にありがとうと言えなかった」という後悔
これに関しては、僕も最後に後悔しそうです。正直、元気なときには恥ずかしいですよね。面と向かって自分の身内に感謝の気持ちを伝えるのは。
万が一自分が大きな病気をしたり、死ぬ間際だったら言えるのかなと思ったりします。
でも、そんなのは悲し過ぎますよね。最後の最後に気持ちを通じ合えても余計につらいだけです。
僕がもし今日の仕事帰りに事故で死んだとしたら「きっと自分も後悔するんだろうな」と思います。僕はずっと家族に感謝の言葉を伝えた記憶がないからです。
遅い時間に帰っても食事を用意してくれてたり。少ない給料で家計をやりくりしてくれたり。家計を助けるために妻も働いてくれたり。
お互い忙しい日常の中で当たり前だと思っていること。でも本当はそんなことは当り前じゃないんですよね。当たり前のことなんか、ないんです。
僕を含め、心の中では家族に感謝していたとしても面と向かって「ありがとう」と伝えられない人は多いはずです。
「一緒に住んでいる身内に対して恥ずかしい」とか。「またいつか年をとった時に伝えればいい」とか。「そんなこといちいち言わなくても分かっているだろう」とか。
そう思っているから伝えたことがないのでしょう。あるいは、時間が無限にあると思っているから伝えようとしないのかもしれません。
有限の時間を意識して生きる
限りある時間の中で僕たちは生きています。返却期限のある借り物の時間の中で僕たちは生きています。
そう考えると、僕は伝えられるうちに伝えておきたいと思うようになりました。
家族に感謝を伝える機会はあと何度あるか分かりません。もし今日がラストチャンスだったら?きっと僕は後悔するでしょう。
家庭を顧みず、連日深夜2時3時までハードに仕事をしていた僕がこれまでの10年あまりを振り返る時に浮かんでくるのは、「一番大切な人達を一番後回しにしてきた」「一番大切な人達にいつも一番我慢させてきた」という思いです。
一番大切なものについて考えてみる
仕事モードの僕しか知らないお客さんからすれば、いつもエネルギッシュで行動が速い営業マンだったでしょう。しかし、家に帰るとまるで別人のようです。
会社で全エネルギーを使い果たした僕は、家では寝てるだけ。休みの日にも、疲れ果ててグッタリと寝ているだけです。家族を遊びに連れて行く気力すらも残っていません。
たまの休日を楽しみにしていた子どもはガッカリです。普段から家族と会話のない僕ですが、休みの日でも同じです。最後には過労で体調を崩して会社を休職する事態に陥りました。
休職直前まで「会社のため」という愛社精神・責任感に突き動かされて睡眠時間も削って馬車馬のように働き続けてきました。自分でいうのも何ですが、売上げにはかなり貢献したはずです。
その結果、心身の健康を崩して倒れた自分を待っていたもの。
会社はまるで壊れたパーツを交換するようにサクッと後任を採用しました。僕は「ああ、そんなもんか…」と会社への思いがすっかり冷めました。そして僕は職場に復帰せず、その会社を去りました。
でも、家族だけは僕を以前と変わらず支えてくれたのです。本当にありがたいと思いました。
そのとき、やっと本当に大切なものに気がついたのです。会社にとっては“僕”の代わりはいくらでもいるのです。でも家族にとっては“僕”の代わりはいません。
仕事と家庭は同列に比べるものじゃない
一般的な傾向として、人生における最も大事なモノの一番目に日本人は「仕事」を挙げますが、欧米人は「家族」を挙げます。
「人生のための仕事であって、仕事のための人生じゃない」という考えが人生観の根底にあるようです。
近年は日本でも「ワークライフバランス」という言葉が浸透して仕事に対する意識も旧来のものから変わりつつあるように感じます。
ワークライフバランスは「仕事と生活の調和」と訳されます。
「家庭と仕事のどちらが大事が」という議論がしばしばなされますが本来、性質の違うもの同士を比較すること自体が無意味だと思います。
それは「焼き肉と桐谷美玲のどちらが好きか」という問いと同じです。焼肉も好きだし、桐谷美玲も好き。仕事も大事。家庭も大事。
もしもどちらかしか選べないという究極の状況だったら、今の僕なら2秒ほど考えるかもしれませんが家庭を選びます。家族が支えてくれるから仕事ができる。
「仕事があるから家族がいる」わけではないのです。
そして、最期に後悔しないためにも大切な人への感謝の気持ちは言葉にする習慣ができたら素敵だと思います。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。