会社に対する責任感だけでなく家族にも責任感を忘れないで

子供と妻 仕事

責任感のない人よりは責任感の強い人のほうがいい。それは間違いないのですが、過剰な責任感は危うさをはらんでいるのです。

責任感が強い人はうつになりやすいという一般論

一般的にうつ病になりやすい性格というものがあります。それは「生真面目で几帳面・責任感の強い性格」です。

このタイプは何事も徹底的にやらないと気が済まず、正義感や責任感が強いので、手抜きや妥協もできません。

仕事にもとても熱心で、疲労がピークに達してもわが身を振り返らずひたすら目の前の仕事に取り組みます。

人としては称賛に値する性格だと思うのですが、過剰な責任感は危うさをはらんでいるのです。過去にうつを発症したときの僕もまさにそんな感じでした。

どれくらい壊れていたのか、良かったら読んでください。

異常暴走していた責任感のかたまり

当時の会社で僕は社長に大きな期待をかけられていました。営業部隊の切り込み隊長であり、相手を落とす最後の砦。

小さな会社でしたが、仕事は多忙を極めていました。9時~翌日3時まで働き、当時の睡眠時間は平均3時間。営業車の居眠り運転は日常茶飯事でした。

今ならそれがまともじゃないことは分かります。しかし当時は自分にかけられた期待を裏切りたくない一心で必死でした。

そんな中、社運をかけた大きな商談でしくじりました。小さな会社が次のステージに行くためにそれは絶対にはずしてはいけないとても重要な商談でした。

「最後の砦と期待された自分がダメだった。もう死んで社長にわびるしかない」。睡眠不足でぼんやりした頭で本気でそう思いました。

「責任をとって向こう半年間の給料を0にしてください」と社長に即日、手紙を書きました。「そんなこといったのはお前が初めてだ」といわれましたが、僕は本気でした。

問答の結果、給料は今まで通りということになり「お前みたいなやつにこそ、大切な仕事を任せたい」と社長にいわれました。

僕は自分が許されたうえに認められたような気がして「この社長のためなら俺は死ねる」とすっかり思い込み、以降も社長の期待に応えるべく馬車馬のように働き続けました。

家庭と我が身をかえりみず満身創痍で最前線に立ち続ける自分に酔っていたのかもしれません。今から思うと、それはただの自己陶酔だったと思います。

責任の優先順位をハッキリさせる

自分が責任を負っているのは会社だけではないはずです。自分の所属するコミュニティに対しては責任があるはずです。

その最小の単位はもちろん“家族”です。僕をはじめ多くの人はこのことを忘れている気がします。

僕の給料が半年間途絶えれば、家族は生活に困ります。僕が会社のために死ねば、家族は遺族になります。家族への責任と会社での責任。

一体どちらが重いのでしょうか?自分の命より重いのはどっちでしょうか?

前述の件からほどなくうつを発症した僕は、病院を受診します。最初の診察でこんな会話をしたのを今も覚えています。

「こんな自分では生きていても迷惑がかかるだけ」「会社にも家族にも申し訳ない。だから死にたい」といったら先生は僕にひと言こういいました。

「死ぬことは一番無責任だよ」

あの時うつを経験して以来、僕は優先順位に迷ったら「自分のルーツ」をたどることにしています。1つ上の階層のフォルダに戻るとイメージしてもいい。

自分は営業課長である前に、一家の世帯主。一家の世帯主である前に息子の父親で妻の夫。どう考えても、今の僕は家族のためには死ねても会社のためには死ねません。

会社の切り込み隊長としての役割と責任。でも、それは自分じゃなくてもできるんじゃないか?息子の父親としての役割と責任。

それは自分にしかできないんじゃないか?

「その役割に自分の代わりがいないこと」。今の僕は、優先順位に迷ったときはこれを一つの判断基準にしようと決めています。

あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。