世界のトップアスリートの演技は観るものを惹きつけ、応援しているこちらが勇気づけられることが多々あります。
ここで忘れてはならないことは、彼らトップアスリートも観ている僕らと変わらない人の子なのだということ。
浅田真央選手も葛西選手も才能だけではない
ソチ五輪での浅田真央選手の演技に感動した人、勇気をもらった人は多いのではないでしょうか。
彼女自身「最後のオリンピック」と決めて臨んだ大切な舞台でした。
ショートプログラムでの転倒と普段ならあり得ないミス。そして屈辱的な低得点とまさかの日本勢最下位の順位。
この試合のためだけに費やしてきた4年間の努力の日々を思うと、浅田選手があの夜に失意のどん底にあったことは容易に想像できます。
本当に、ホテルから一人逃げ出してもおかしくない状況。周囲の期待を背負い、異常なほどに追い詰められていたと思うし、彼女自身も深く深く落ち込んでいたはずです。
翌日に控えたフリーの演技で、もはや巻き返しが狙えるような順位ではなく、何をモチベーションに気持ちをもう一度立て直せるのかとても心配していました。
あるいは、このままの流れに飲まれてフリーも散々な結果に終わるかもしれないという思いもよぎりました。
まさか浅田選手が翌日のフリーの演技で女子では史上初めてとなる8トリプルの偉業を達成し、新たな伝説を作るほどの演技を魅せてくれるとは夢にも思っていませんでした。
たった2日間で地獄から天国へ。だからこそ、感動しました。
ジャンプの葛西選手が41歳という最年長ジャンパーとして銀メダルを獲ったことにしてもそうです。
出場選手のほとんどが20代の中で41歳にして世界2位です。こちらも、とてつもない快挙だと思います。世の中の40代が彼の姿にどれほど勇気づけられたことか。
このことを「さすが真央ちゃん!」「葛西選手サイコー!」で済ませてしまうのは簡単ですが、それでは僕たちは本当にメッセージを受け取ったことにはならないと思うのです。
誰か偉人の伝記や成功本を読んで「ああ、良い本だったな」で終わって、自分の行動は何も変わらないのでは読んだ意味がないのと同じことです。
すごい人を天才だと思いたがる心理
特殊解と一般解
ものごとの答え、やり方には2種類のものがあります。
すなわち、「特殊解」と「一般解」の2つです。特殊解とは、その人にしかできないやり方のことです。多くの場合「才能」などの前提条件を必要とします。
一般解とは、誰にでも当てはまるやり方のことです。
今回のソチ五輪での浅田選手や葛西選手の例に限らず、人は自分の理解や努力の及ばないことを「特殊解」だと思いたがる傾向があります。
つまり、すべてを「才能」で片付けようとするのです。「あの人は才能があるからできたのだ」「あの人と自分では住む世界が違うのだ」。
そんなふうに思いたがる傾向があります。
できない言い訳をしたいから
それを「一般解」だと認めてしまうことで、「自分には何故できないのか?」と自分を責めたり、変わるために努力しなければならなくなるから。
自分が「できない言い訳」ができなくなるからです。才能を前提条件とする特殊解だと思っていたことが、何の前提条件も必要としない一般解だと分かったら、自分がますます惨めでいたたまれなくなるからです。
しかし、偉業を形成する一つひとつの要素がすべてその人だからできた「特殊解」なわけではありません。
誰にでも当てはまる「一般解」も多く含まれています。「やっぱりすごいよねーあの人は!」「あの人はやっぱり俺たちとは違うからね」。
そんなことを言ってただただ感心しているだけでは、自分自身の進歩は望めないのです。
才能に依存しない「一般解」を抽出する力を
もちろん、どれほど浅田選手に感動したからといって僕が来月までにトリプルアクセルが跳べるようにはなりません。高所恐怖症の僕が大ジャンプできるようにもなりません。
そういうことではなくて、他人のすばらしい体験の中から本質の部分を抽出することが大切なのです。
つまり他者の成功体験の中の「一般解」の部分を取り出しそれを参考にして自分に当てはめる習慣を身につけること。
これが他者の経験を自分に生かす、他者の人生にレバレッジをかけるということになるのです。
それは今回の例でいえば、浅田選手に学ぶ「開き直り力」「目の前のことに集中する力」だったり、葛西選手に学ぶ「年齢を言い訳にあきらめない力」だったり。
そういう部分が「一般解」ではないでしょうか。
この視点で周りを見渡せば、あらゆるものごとから学ぶことができるようになり、「我以外皆我師也(われ以外みなわが師なり)」という言葉も腑に落ちる気がします。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。