人間が生きていくうえで、悩みごとは一瞬消滅しても次から次へといくらでも湧き出してきます。多分どこまでいっても尽きることはないでしょう。であれば、上手い付き合い方を考えないといけません。
僕たちが抱える悩みには「解決すべき本物の悩み」と「解決しなくていいニセモノの悩み」の2種類があります。まずは、そこを仕分けすることから始めましょう。
1.解決すべき本物の悩み
この場合は対応の仕方がよりシンプルです。
目の前の悩みを解決するためにするべきことを今すぐ実行可能なレベルの細かい作業に砕いて項目をリストアップします。そして、リストアップしたものにフォーカスして全力で取り組みます。
それ以外にやることはありません。いつまでも悩む必要もなければ、その時間もないのです。
2.解決しなくていいニセモノの悩み
一方「解決しなくていいこと」のほうが単純そうにみえて、結果的には時間を要することが多いものです。それは、これまでと考え方を切り換える必要があるためです。
「答えがないのが答え」という屁理屈
解決しなくていいことは多くの場合、答えがないタイプの悩みである気がします。
何か悩みが生じたとき、多くの人は「それを解決する明確な答えがある」と信じて疑いません。しかし実際には、答えは常に一つだけとは限らないし、さらには「答えがないことが答え」ということもあり得るのです。
若い頃の僕は、悩みごとには「これ」という答えを出さなければ気が済まない性分でした。
だから、「答えがないのが答えだ」などというまやかしめいた問答はもともとは大嫌いだったのです。そのため多くの時間を悩み事を抱えて浪費してきました。
しかし歳を重ねるうちに「そういうこともあるな」と思えるようになってきました。
答えが出ない悩みとはなんだ?
では、どんな悩みがそれにあたるのでしょうか。
それはたとえば「人は何のために生きるのか」とか「人は何のために働くのか」といった哲学的な種類の悩みです。悩みというより、「問い」といった方が適切でしょうか。
「生きる意味が分からない」という類の悩み
大学時代、僕自身「人は何のために生きるのか」という問いの答えを探し続けて悩んでいました。
普段、仲間といるときはバカ騒ぎして盛り上がりつつも下宿先のアパートに帰って一人になると、またそのことを考え続けるという日々を送っていました。
この頃は哲学書もずいぶん読んだ気がします。きっと、遊び仲間は僕がそんなキャラだとは思いもしなかったでしょう。プロフィールにある通りのバカ野郎でしたから。
しかし考えれば考えるほど分からなくなり、「生まれてきたものはいつか必ず死ぬのなら、自分は死ぬために生まれてきたのか?」と一転して短絡的な考えにハマりかけたこともありました。
同級生は「今が楽しけりゃそれでいい」というノリでしたからこんな悩みを共有できる友達は周囲にいませんでした。
意味を求めると面倒くさがられる
僕はバーテンダーのアルバイトをしながらお客の社長連中の話をむさぼるように聞いていました。
しかし結局いつも最後はこうでした。「バーカ。人生に意味なんてないんだよ」「若いんだから、小難しいこと言ってないで今を楽しめよ」
そんなセリフは当時の僕には、考えることをやめた怠惰な大人の遠吠えにしか聞こえませんでした。
戸惑いながらも社会人になった
それから2年が経ち、社会人になってもこの問いは頭のどこかに絶えず引っかかっていました。ところが社会人2年目を迎えようとする頃、ピースが「カチッ」とハマる感覚が訪れたのです。
やっと理解した生きる意味
「自分はずっと生きる意味が分からなかった。だけど、意味が分からなくてもここまで生きてこれた。「意味とはもともとそこにあるものではなく自分でつくっていくものなんじゃないか?」
自分なりのこの結論に至るまで、僕は4年かかりました。
答えの出ない問いは案外多いもの
世の中には考えても答えの出ないことが想像以上に沢山あるものです。それなのに、その答えが見つかるまで追い求め続けることは時間のムダ、ひいては人生のムダ使いともいえます。
「探すのをやめたとき、見つかることもよくある話で」とは井上陽水さんの曲のフレーズですが、実際にそういうことはよくあるのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?僕はあなたに「妥協しろ」といっているのではありません。ただ、しゃかりきに追い求めても出ない答えならいったん手放してみるのも一つの手です。あなたは僕のように、時間をムダにしてはいけません。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。