あなたにとってストレスになる出来事は他人にとっても同じようにストレスだと思っていますか?
いいえ、間違いなくそんなことはありません。この記事ではストレスを感じる対象は人により異なること、目の前の出来事に対する「良い」「悪い」の判断は個人の意味づけ次第であることを、発明王トーマス・エジソンの例を引き合いに解説します
何にストレスを感じるかは個人の価値観次第
同じ場所で同時にまったく同じ体験をしてもストレスを感じる人とそうでない人がいます。
AさんとBさんが出席している友人の披露宴が当初の予定よりも30分長引いているとしましょう。
Aさんは「めでたい席が長引くのは仕方ないよ。その分、お酒も飲めるし結構じゃないか!」と思いました。Bさんは「おいおい!もう30分も予定を過ぎているのに、一体いつまで続けるつもりなんだ?」と苛立ちました。
どちらが良くてどちらが悪いということではありません。個人の「価値観」「意味づけ」によって、同じ出来事に対する反応が異なるという話です。
すべての出来事はもともと中立
もともと「披露宴が長引く」という出来事自体は良くも悪くもなく、中立の事象です。そして、この中立的な出来事に対して、Aさんはストレスを感じないのに、Bさんはストレスを感じています。
意味を与えているのは自分
つまり、人はそれぞれの「経験」に照らして本来は中立的な出来事に自分で意味を与え、“感情”や“言葉”を自ら選んでいるのです。
意味付けの違いが、ストレスを感じるか否かの違いといってもよいでしょう。
失敗に対するエジソンの意味付け
発明王として有名なトーマス・エジソンの意味付けはこうでした。
彼は電球の発明に成功するまでに999回、失敗していたそうです。そのことについて記者会見で新聞記者にこう質問されました。
「今回の発明が成功するまでに999回も失敗したと聞いています。そんなに失敗したのに、どうして研究を続けることができたのですか?」
その質問に対するエジソンの答えはこうでした。「私にとってそれは999回の失敗ではなく、999回の『電気がつかない方法の発見』だったのですがね」
意味付けの違いが感情の違いになる
「999回電気がつかなかった」という出来事自体はあくまでも中立の事象です。
その中立の事象を、新聞記者は「999回の電気がつかない失敗」と意味付けしたのに対し、エジソンは「999回の電気がつかない発見」と意味付けしていました。こうした意味付けの違いが「失敗」と「発見」という言葉の違いに現れたのでしょう。
仮にエジソンが、電気がつかない度にそれを「失敗」だと認識していたら、999回も研究を続けられていたかどうかは疑問です。
さいごに
いかがだったでしょうか?
あなたも、本来は中立的な出来事に対して自分で勝手にネガティブな意味付けをしてしまい自らストレスを作り出してはいないでしょうか?
「良い」も「悪い」もあなたの与えた意味なのです。
「過去の変えかた」に関してはこちらの記事をお読みください。
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あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。