僕たちは誰一人この世界を「ありのまま」に見ているわけではありません。そもそも、ありのままの世界を認識することなど不可能なのかもしれません。
人間は膨大な情報を前にして次の2つのことを行なっています。
1.情報の消去
僕たちは生活のあらゆる場面で膨大な情報に接しています。もちろん、その膨大な情報量をすべて処理する必要もありません。
どんな場面にも、そこには何万もの情報が同時に存在しています。しかし、人間が一度に認識できる情報の量は7つまでだといいます。
毎日の通勤電車の中でも
中吊り広告の記事、ヘッドホンから漏れてくる音、スニーカーの形、OLさんのスーツ、バッグの形、スマホのカバー、誰かの香水の匂い、隣の男性がつけてるロレックス、靴の形、ネクタイの柄、本の名前、その場の温度、振動、窓の外の風景。
道を歩いているときも
すれ違う人の表情、髪型、服装、店の看板、信号機の色、車のクラクション、日差し、コンビニのポスター、雑誌の表紙、焼きたてのパンの匂い、犬の吠える声、着信音、誰かの笑い声、誰かが捨てた吸殻、潰れたペットボトル、自動販売機、街路樹の緑。
山の中にいるときでさえも
見上げるほど伸びた樹の幹、そこから分岐した枝、葉の一枚一枚の形、色、つた、頬に触れる風、葉の擦れ合う音、流れる雲、鳥のさえずり、足元に生えている草、樹々の間から差し込む光、流れる小川のきらめき、触れた時の冷たさ、川底の丸い石。
つまり、僕たちはその場に存在している何万もの情報のうち自分が認識した7つ以外のものを、まるで存在しなかったかのように“消去”しているのです。
そのため、「同じ状況でも人により抽出する情報が違う」ということが起きているのです。
2.情報のデフォルメ
これは「本来無関係の独立した2つの事象」を勝手につないで意味を与えることです。AとBは関係のない独立した事象なのに、「A=B」と決めつけていることはありませんか?
たとえば、次のような場面を想像してみてください。あなたが新しく担当することになった取引先に先輩と2人で挨拶に行ったところ、社長室に通されました。
部屋に入ると、正面の巨大な本棚にびっしりとビジネス書や六法全書が詰まっています。別の棚にはONE PIECEのコミック本が全巻揃えてあります。やけにたくさんの資格が額縁に入っています。立派なゴルフバッグが3つもあります。社長室には不似合いなオタク系フィギュアが100体ほど飾ってあります。
みると、社長はまだ30歳前後の若い方です。手帳を開いて英語で電話しています。白髪混じりの髪は短く刈りこんであり、真っ黒に日焼けしています。
薬指にはゴツいリングをしていて、かすかに香水の匂いがしています。
その社長が今、電話を切って席を立ち、こちらにやって来ました。この状況、あなたは何を見て何を思うでしょうか?
抽出
「ビジネス書、六法全書、資格、白髪混じりの頭」という情報を抽出すれば、勤勉な努力家ともとれます。「コミック、フィギュア、日焼け、リング、香水」という情報を抽出すれば、チャラい遊び人ともとれます。
そこにある何万もの情報のうち、何を抽出して何を消去するか。それは個人の価値観により異なるでしょう。
デフォルメ
また、抽出した情報に自分なりの解釈をつける「デフォルメ」にも注意が必要です。これが入ると物事を正しく捉えることが難しくなります。
社長が「白髪混じりであること」と「苦労人であること」は本来は無関係の事象です。白髪の多い体質の怠け者かもしれません。「日焼けしていること」と「遊び人であること」も本来は無関係の事象です。出張で飛び回って日焼けしたのかもしれません。
解釈は情報の受け手次第
このように日常生活のあらゆる場面で僕らは、情報の「消去」と「デフォルメ」をおこない、本来ニュートラルな現象に自分独自の意味付けをしながら生きているのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?つまり、僕たちがある状況に対して与える意味付けは次のようにいえます。
- その場に存在する無数の情報の中から、各自が個別の価値観で情報を抽出している
- そして抽出したものをデフォルメしてできた「独自の解釈」であり「絶対的真実」ではない
それなのに僕たちは、それを「絶対的真実」だと思い違いをしてしまいます。だから自ら作り上げたストレスを溜め込み、苦しむことになるのです。
「自分自身で作り出しているストレスはないか?」。情報の消去とデフォルメに気をつけて今一度チェックしてみてください。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。