「年々1年が経つのがはやいなぁ」と感じているのは私だけではないはずです。
子供の頃にはあんなに長く感じていた1年があっという間なのは何故なんでしょう。
ボヤボヤしてると、時代に置いていかれそうで怖くもなります。
時代も価値観もスピード感も変わった
「終身雇用」という神話とともに「年功序列」という概念も、もはや遠い過去のものとなりました。
今や職場の上司が年下ということは珍しくありません。
世間には20代の起業家たちがあふれています。
そんな現実を目の当たりにするたび、私はムダに歳をとっている自分が恥ずかしくなります。
長く生きてりゃエラい訳でもない
年下でも尊敬できる人はいるし、年上でもくだらない人はいる。人間、「長く生きてるほど立派」という訳でもないようです。
人生の「濃度」とでもいうんでしょうか。それが全然違うんです。
25歳の起業家は45歳のサボりサラリーマンよりずっと人生経験が豊富だとすら思います。
人生経験とは「積み重ねた時間の多さ」だけでは測れないんだなと、若い起業家や経営者の方と接していると感じます。
時が経つのを早く感じる2つの理由
「なんだか1年経つのがまた早くなった気がする」
私は毎年そう感じています。
1日の長さも1年の長さも、絶対値は変わっていないのに。これは、何か老化の仕組みと関係しているんでしょうか?
1.既知のことばかりになる
1つめの理由として生活の中に「新しい経験」が減るいうことが挙げられます。
幼少期には見るものすべてが新しく、日々初めての体験に満ちています。
この頃は毎日のように新しい刺激にさらされているので時間の感覚がゆっくりしているのでしょう。
しかし私たちは成長するにつれて当然ながら「すでに経験したことがあること」が増えていきます。つまり新しい刺激が入ってくる機会が減るということです。
そしていつしかもっと歳をとり、「毎日毎日同じことの繰り返しでイヤになるよ」とボヤくようになるかもしれません。
でも実際には「毎日同じ」なんてことはあり得ないのです。
2.名前のない時間の割合が多い
より重大な理由として、無為な時間を過ごしている可能性があげられます。
その結果、気づいたら「俺もう30過ぎてる」とか「俺もう40代か…」ということになりがちなのです。
時間には2種類あります。それは「名前のある時間」と「名前のない時間」です。
名前のある時間は生産性が高く、記憶にも残ります。名前のない時間は何も生み出さず、記憶にも残りません。
時間に名前をつける習慣をもつ
そして、自分の時間にどんな名前をつけるかによって人生のデザインは大きく変わってきます。
たとえば「体脂肪を燃やす時間」「筋肥大させる時間」という名前を多くの時間につければつけるほど、体は引き締まっていくでしょう。
あるいは「本を読む時間」「音声教材で学ぶ時間」という名前を多くの時間につければつけるほど、仕事で成果を出せるかもしれません。
時間は、あなたから名前をつけられるのを待っています。
会社帰りの電車にただ揺られているだけの「名前のない時間」。
TVをただボーっと眺めているだけの「名前のない時間」。
毎日繰り返される名前のない待ち時間。
その時間の総和は1年間では一体どのくらいになりますか?
どうか、それらの時間に名前をつけてあげてください。
たとえば
- 「仕事の企画やアイデアをまとめる時間」でもいいし
- 「帰ってからやることのリストを作る時間」でもいいし
- 「音声教材で英会話の学習をする時間」でもいいし
- 「夕食の献立を考える時間」でもいいでしょう
名前のない時間というのは、後で振り返ったときに記憶に残ってない時間です。
もっといえば「生きていた実感のない時間」です。
そんな名前のない時間をただ積み重ねた結果、あっという間に1年が経ち、2年が経ち、5年が経ち気がついたら「俺もう30過ぎてる」ということになるのです。
あなたの時間にまだ名前がないのであれば、どうか名前をつけてあげてください。
それだけで、毎日が色鮮やかになっていくのを実感できるはずです。
さいごに
最後に、この記事のポイントを簡単にまとめておきますね。
- 時間は「歳をとったから」早く感じるのではなく、無為な時間を積み重ねてきたから
- 無為に過ごす時間に「〇〇をする時間」と名前をつけると日々が色鮮やかに充実する
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。