ストレスまみれの自分をカメラをグッと引いて俯瞰してみると…

鳥の目で俯瞰する 生活

近頃ストレスだらけで毎日が嫌になっていませんか?そのストレスを発散することもできなくて、気持ちに余裕がなくなり視野が狭くなり、周りのことが見えなくなって他人とギスギスして…。「この世からありとあらゆるストレスがなくなれば…!!」「そうしたら、もっと穏やかな自分でいられるのに」

実はストレスそのものには、良いも悪いもありません。それは外界から刺激が加わった時の自然な「生体反応」だからです。そして、それは生体にとって必要な機能だから備わっているのです。

つまり人間は生きている限り、「ストレスをゼロにすることはできない」ということになります。

ストレスとは何か

潰されたリンゴ

よく引き合いに出される言い方をすれば、ストレスとは、外から強い力が加わって凹んだボールが元の状態に戻ろうとするときの「反応」です。

そして、その「外から加わった力」のことをストレッサーといいます。日常的にはストレスとストレッサーは、ほぼ同じ意味で使われています。

個人の価値観で解釈が変わる

ストレスはそのとらえ方次第で「成長するための刺激」という好ましいものにもなれば、「心身の健康を蝕む要因」という避けるべきものにもなります。

何かの事象が起きたとき、そのことに対する解釈が一通りしかないということなどまずないはずです。それは、僕たちが目の前の事実を自分なりの「価値観」や「経験則」といった個別のフィルターを通してみているから。

だから一度カメラを引いてその事象・現状を見てみる。物事を俯瞰して見ることは一時的な感情にとらわれて、誤った判断をすることを避ける意味でも大切なことです。

俯瞰と客観について

高いビルを見下ろす

「俯瞰する」とは高い視点から広く全体を見おろすことです。一方、似たようなニュアンスで「客観視」という言い方もあります。しかし、客観視というのは本来それほど簡単なことではありません。

主観的=自分だけでそう思う態度(主観≠事実)

客観的=誰がみても正しいと思われる立場で考えるさま(客観≠事実)

このように、主観も客観も絶対的な真実ではありません。

要はどの「立場」で考えるのかだけの違いなのです。だから主観は必ずしも「事実ではない」とも言い切れないのです。これに対し「俯瞰」は、鳥が上空から全体を見渡すようにあくまで自分主体で全体像を把握することができます。

変えられることを変える

カメラマン

目の前の「事実」そのものは変えられません。しかし、それに対する「捉え方」なら変えられます。捉え方が変われば、その事実の意味や解釈が変わります。それは、事実そのものが変わったのと本質的には同じことではないでしょうか。

ある事実に対して、今の捉え方のままではしんどいなら別の捉え方はできないか考えてみるのです。ここぞとばかりに、ガッツリとカメラを引いて俯瞰してみてください。

目の前のこれをどう捉えた方が自分にとって得なのか?どう捉えれば次につながるのか?

変えたくなければ変えなくていい

「自分だけじゃなく皆ストレスを抱えているんだから仕方ない」と言って大きなストレスを放置してその解釈にとどまる。

それは、「周りの人も皆、太っているし大丈夫。デブは自分だけじゃないさ」と言ってデブな自分にとどまることと同じ気がするのです。どんな気分で生きるのか、選ぶのは自分次第なのです。もちろん、今のままの気分でいいという人はそれでいいと思います。

逃げではなく知恵

そのことについて別の捉え方を考えることはどうにもならない目の前の事実から逃げることとは違います。その場しのぎの現実逃避や愚かな妄想でもありません。むしろ、それこそが『上手く生きる知恵』なのです。

思い込みから拓ける人生

緑と青の瞳

  • 叱られたら、それは自分が成長するチャンス
  • ムカついたら、それは自分の器を大きくするチャンス
  • 失恋したら、それは次の恋を始めるチャンス
  • 失業したら、それは次の仕事を始めるチャンス
  • 何かに失敗したら、それはやり方を見直すチャンス
  • 孤独になったら、それは自分を見つめなおすチャンス

思い込みでもなんでもいいから、こんなふうに捉え方を切り替えてみてください。未来を変えられるのは強く思い込んだ人だけです。きっと大空から俯瞰すれば、今のストレスに悩んでいるあなたもちっぽけに見えることでしょう。

あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。