「やらなければならないこと」に追われて、「やりたいこと」をする時間なんかない。
もしかすると、あなたも似たような思いをしていませんか?もしそうなら、1つ質問があります。あなたが抱える「やらなければならないこと」は誰かにやらされていることですか?
行動の動機はMustとWantの2種類
人は「したい(Want)」という動機ならすぐに動けます。それは衝動と呼んでもいいかもしれません。
しかし「しなければならない(Must)」という動機だとなかなか動けないものです。
そこには「やらされてる感」や一種の「被害者意識」が芽生えるからでしょう。
そして時間が経てば経つほど、それを放置したままの自分に「自己嫌悪」を募らせ、負のスパイラルに陥ります。
簡単なWantほど認識しやすい
- ラーメンが食べたい
- コーヒーが飲みたい
- タバコが吸いたい
- 横になりたい
そういった単純なWantはすぐに叶えられるので、自分自身でもそれを“Want”として認識できます。
その行動を「したい」からしたわけですよね?自分の自由意志でその行動を選択したのです。ここが一番重要なポイントです。
一見“Must”に思えるものも、実は叶えるまでの課程が長い“Want”であることが多いものです。自分のWantを叶える課程で、いくつかのMustを経由しているだけなのです。どういうことか説明しましょう。
Mustの増加が思考停止を招く
たとえば、あなたはこんな強迫観念に追い立てられることはありませんか?
- あの仕事を片付けなければならない
- この本を読まなければならない
- 毎朝3km走らなければならない
「しなければならない」という言葉は自分を方向付けてくれますが、度が過ぎると被害者意識を生みます。
さらに悪いことには「しなければならない」で頭の中が一杯になると、人間は思考停止に陥ります。
過剰な被害者意識に潰されないための自己防衛本能とでもいうのでしょうか。ほぼ必ず、脳は思考を停止します。
Mustのルーツ探しを習慣化する
では何故、それを「しなければならない」のでしょうか?それをしないことを選ぶこともできるんじゃないでしょうか?そんなに嫌ならやめてしまってもいいんじゃないでしょうか?
それでもそれを「しなければならない」と思うのなら、そう思わせる理由、そのルーツを探ってください。
何か自分の実現したいこと、つまり「Want」があって、それを達成することを選んだ結果、その過程に「Must」が出現しているはずです。
自分の自由意志でゴールを選択した結果、今目の前のMustが出現しているのです。
「あの仕事を片付けなければならない」のは「仕事を先へ進めたい」から。
「この本を読まなければならない」のは「本から得たい知識がある」から。
「毎朝3km走らなければならない」のは「夏がくるまでに痩せたい」から。
結局、すべてのMustのルーツにはWantがあるはずです。
つまり、「ねばならない」につきまとう被害者意識は実のところ単なる妄想なのです。
それでもその妄想に憑りつかれそうなときには目の前のMustのルーツ、根っこをたどっていくこと。
今、目の前に「Must」という大きな川が流れているとしても、その川を上流まで遡ると、源流は「Want」であるはずです。
Mustが先かWantが先か
「この契約を必ずまとめねばならない」のは、「自分に対する評価を上げたい」からかもしれないし、「上司に責められたくない」からかもしれません。
「嫌な仕事であっても続けねばならない」のは「家族を養わねばならない」からであり、「大切な家族を守りたい」からでしょう。
「寸暇も惜しんで受験勉強をせねばならない」のは「志望校に合格したい」からでしょう。
「ムダ遣いをやめて貯金せねばならない」のは「海外旅行にいきたい」からでしょう。
逆にいえば「Must」のルーツにある「Want」がもしもどうでもいいのなら、それをする必要もなくなります。
だから、もしあなたが「やらねばならないこと」だらけで自分を被害者のように感じているのなら。
なぜ目の前のそれを「せねばならない」のか?そのルーツを確認してみることをオススメします。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。