「ものごとは考えようでどうにでも変わる」
私は、ある意味これが究極の考え方であり、生き方上手の極意だと思っています。
自分の性格のこんなところがイヤだ。どうして自分はいつもいつもこうなのか。自分の欠点にばかり目がいって自分を好きになれない…本当はもっと自分を好きになって自信を持ちたいのに。
思えば私もずっとそうでした。
でもそれは本当に「欠点」なのでしょうか?
今、これを読んでくれているあなたの年齢は分かりませんが、これまで育ててきた性格を変えることは簡単ではないでしょう。
できないことではありませんが、一朝一夕にとはいきません。
ならば、その「欠点」だと思っていることの意味を変えてしまえばいいのです。今回お話するのはそんな内容です。
思い込みにとらわれ過ぎてる
本来、どんな物事でも多面的なとらえ方ができるものです。しかし多くの人は、ひとつの方向からの見え方を物事の「すべて」と考えがちです。
ピラミッドの形をイメージしてみてください。
上から見ればそれは「正方形」。でも真横から見ると「三角形」で、さらに斜め方向から見ると「三角すい」だったりするのです。
そして、どの見え方も各視点における真実なのです。
人は自分を制限する「思い込み」に縛られていることが少なくありません。この思い込みは、いわば一つの「情報」です。
情報である以上、それは書き換えることが可能です。
それにより、短所を長所に変えることすらできるのです。
コンプレックスは個性になった
このことについて、私のことを少しお話します。
恥ずかしながら、幼少の頃の私はそれはかなりの泣き虫でした。本当に事あるごとによく泣いていた覚えがあります。
誰かにいじめられたとかケンカしたとかそういうことではなく、「え?そこで泣く?」というような場面でも泣いていました。
たとえば…
- 飼っていた金魚が死んだ時
- おばあちゃんの家のお泊りから帰ってきた時
- 楽しみにしていたキャンプが終わった時
- ドラえもんの映画でジャイアンがいい奴だった時
- 最後の線香花火が終わった時
- 夏休みが終わる時
もともと涙腺が弱かったのか、感受性が強かったのか、ただの泣き虫だったのかは分かりませんが、よく泣く子供でした。
母親には「何が悲しくてそんなに泣くの?」と言われ続けてきました。
その過程で「泣くのはダメなこと」という刷り込みがなされました。
泣くのはダメなことだと思うと、泣きたくなるとジレンマが生まれます。ダメなことをしている自分は「ダメな子供」だと思いはじめます。
涙もろさは、いつしか自分のコンプレックスになりました。
そのうち私は、親に隠れて泣くようになっていました。
そんなある時、小学校の先生から「よく泣くひとほど人の辛い気持がよく分かるんだよ」といわれました。
私はその言葉で、いっぺんに救われたような気分になりました。よく泣く子供はダメな子供じゃなくて、人の気持ちの分かる子供!!
今まで否定されてきた自分自身の個性を認められた気分でした。そして「泣きたいときは泣いてもいいんだ!」と心から思えたのです。
「よく泣くこと=情けない。ダメなこと」という図式から「よく泣くこと=人の気持ちがわかる」という図式に変わった瞬間でした。
これを専門的には「リフレーミング」と呼びます。
フレーム=枠組みのことです。
リフレーミング
具体的には、その人が欠点だと感じていることに対して新しい見方を提示することによって心のあり方を変える手法です。
自己啓発本などでよく見られる“ポジティブシンキング”とは少し違います。あれは「ダメな部分はみない」「気にしない」といったものです。
リフレーミングでは「見ない」のではなく状況を変えずに、そのものが持つ意味を新しくとらえ直すという作業をします。
「自分は落ち着きがなくて…」という人の場合には「好奇心旺盛でエネルギッシュ!」と意味をとらえ直します。
「八方美人だとか風見鶏だとか言われてツラい」という人の場合には「分け隔てなく誰とでも接することができるのはスゴい!」と意味をとらえ直します。
「自分は心配症で困る…」という人の場合には「石橋を叩いて渡る堅実タイプで安心だ!」と意味をとらえ直します。
このリフレーミングを他者に対して行えば、相手はまるで褒められた気分になり、あなたに感謝することでしょう。職場で使えばオフィスの雰囲気もガラリと変わるかもしれませんね。
私がお勧めしたいのは、これを自分自身に対して行うことです。
自分の欠点をつつき回るようなネガティブな言葉は封印して、リフレーミングで「欠点だと思っていること」をとらえ直す習慣をつけてください。
そんなことをしても意味がないと思いますか?現実には欠点が改善されていないのだから、単なる気休めだと思いますか?
では、それが必ずしも欠点とは限らないことをお伝えするための例をもう一つ。
「思い込み」という足かせを外せ
これ、見たことがありますね?上の画像は「ルビンの壺」と呼ばれる有名な絵です。
これはデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した図形で背景に黒地を用いた白地の図形で、向き合った2人の顔にも大型の壷にも見えるという錯視を起こす絵(だまし絵)です。
出典:週刊少年ジャンプ
また、もう少し身近な例では週刊少年ジャンプのロゴマーク。ドクロの帽子を被り、ヒゲを生やした海賊のようなロゴマークですね。
実はこれを左に70度ほど回転させると、右を向いた女の子の顔に変わるのです。
これらは一度、今までとは違う見方ができると今度からは意識しなくてもそう見えてきますよね。どう見えたら正解で、どう見えたら間違いということじゃないのです。
どちらの見え方も現実であり正しいのです。
ですから、あなたの欠点だと感じているその特徴についても「別の見方もある」ということを知ってほしいと思います。
それに気づいたときが、あなたの「思い込み」という足かせが外れるときかもしれません。
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願っています。