優柔不断な人は選ぶまでが遅いばかりではなく、選んでからもグズグズと迷っているものです。
何かを選んだつもりでも選んでいない。何かを決めたつもりでも決めていない。
当然、そんな状態だと先に進むことができません。あなたは大丈夫ですか?身に覚えがありませんか?
「後悔」に意味はなく、時間のムダだということ。この記事で綴っているのは、おおむねそんな内容です。きっと読んでいただくと「そうだよな!」と思えるはずです。では、いきましょう!
生きることは選択の連続
よくいわれることですが、人生とは選択の連続です。大なり小なり人間は毎日何かを選びながら生きています。
たとえば、平日昼メシを食べに出たとき。今日はラーメンにするか、パスタにするか。焼肉定食にするか、日替わり定食にするか。
あるいはネットで買物をするときにも。ランニングシューズはadidasにするかNikeにするか。
今度のiPhoneは白色にするか、黒色にするか、ゴールドにするか。16GBにするか、32GBにするか、64GBにするか。
スタバに入ったら、キャラメルマキアートにするかフラペチーノにするか。
日常はこんな小さな選択であふれています。あまりにも小さすぎて「選択」とも意識していないような選択で。
選ばなかった方はバッサリ捨て去る
選択に関して、忘れてはいけない大切なことがあります。それは“何かを選ぶということは何かを捨てるということ”だということ。このことを理解しておかないと選んだつもりでも、本当の意味で選んだことにはなりません。
前述のような小さな選択ではさほど大きな問題にはならなくても、少し大きな選択・決断になると、この理解が必要になります。そうでなければ、先に進めなくなる場面があるのです。
後悔を引きずることは足かせになる
たとえば「今の会社じゃなくて、あの会社に入っていたら今頃はきっと、もっと出世してたかもしれないな」とか、「あの時、彼女と別れていなければきっと今頃は結婚して2人で幸せになってただろう」という具合に、いつまでも過ぎたことに縛られてしまうことがあります。
「自分の選択が間違っていたのではないか」あるいは「もっと別の選択肢があったのではないか」と思い悩み、そこからなかなか動けなくなる人は少なくありません。
でも、いつまでも後悔していても仕方がないのです。いや、そもそも後悔する必要などないのです。
後悔の正体は単なる幻想に過ぎない
人は自分が選ばなかった未来をとかく美化しがちです。
不思議なことに「あの時、今とは別の選択をしていたら今よりもっと悲惨なことになっていたかも」とは考えません。
もしかすると、今の会社ではなくあの会社に入っていたら今頃は会社が倒産して職を失っていたかもしれないのに。
あの時別れた彼女は実は浪費癖がものすごく激しくて、あのまま付き合っていたら今頃は自分も自己破産していたかもしれないのに。
なぜかそんな風に考える人は少ないんですね。それは「選ばなかった方」が気になるという人間の脳の仕組みによるものです。これが「逃がした魚は大きい」という心理を生みます。
根拠のない仮定と現実は比べようがない
いずれにせよ、「選んだ方」と「選ばなかった方」の2つの選択肢はどうやっても比べようがないのです。
「今頃はもっと出世していたかもしれない」という仮定も「会社が倒産して路頭に迷っていたかもしれない」という仮定もどちらもまったく根拠のない仮定なのですから。
過去の選択はすべて正解
だから、その時点であなたが「ベスト」だと思ってした選択ならそれは間違いなく「ベスト」な選択なのです。
それ以外に良い選択肢など存在しなかったのです。
根拠のない別の選択肢を比較材料として悩み続けることはやめてそろそろ次へ進みませんか。
さいごに
「後悔」には意味がなく、時間のムダだということ。
「それはそうだよな」とほんの少しでも思ってもらえたならうれしいです。
- 何かを選ぶということは同時に何かを捨てることでもある
- 「あちらを選んでいれば良かった」というのは根拠のない妄想
- その時点でベストの選択だったなら、やはりそれがベストの選択
あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願っています。